2013年10月25日金曜日

「女ことば」を考える part5



5、女ことばのこれから

 戦争のために日本語も利用されたということは前に述べたが、戦後は女ことばを批判する側、擁護する側にわかれた。

批判側の意見は、女性を女ことばの負担から解放せよというものであった。

擁護側の意見は、女ことばを社会的なものと自然なものに区別したあとで、「社会的なものはなくなっても自然なものは残る」と主張した。

この女ことばをめぐる論争は、女ことば擁護側の勝利で終わり、女ことばは自然な女らしさを反映した言葉づかいとして再定義された。

 ここまで、女ことばの成り立ち、女ことばの歴史についてたどってきた。

女ことばについて考察してきて、女ことばを通して言語というもの全体についてかわかったことがある。

わかったことをまとめつつ、女ことばのこれからについて 考えていく。

わかったことは、言語は思想や社会・国家のあり方に大きく左右されてきたということである。

そして、無理やり善悪をつけられ使用の制限や推奨を受けてきたということである。

これは女ことばに限ったことではなく、授業で取り扱ってきた方言なども方言札などにより、故意に使用を制限されたりと、さまざまな言語にあてはまることである。そして、言語は様々なものに影響を受けるということである。

ことばは、現在日常の会話で使われるということは少なくなっている。

現代の「女ことば」を考えた際、私にとっても、学生にとっても、現代もっとも女らしい女ことばを使う人といえば、「ニューハーフ」という結論に達した。」(小林、2007p279)とあるように、女ことばを現在もっとも使っているのは、ニューハーフ、おネエの人々である。

ニューハーフ、おネエの人々は女性らしさを強調しようと使用する、心(時には体も)が女性になりきっているので自然と女ことばが出るのかもしれないが、それは彼女らに限ったことではない。

(※あまりニューハーフ、おネエについてははっきりとわかっていない部分があるので、間違っていることや適切でない表記もあるかもしれませんがお許しください。)

現代まで女ことばが残ってきた要因には、自然な女らしさと結びついてきたところが大きいと考える。

中やそれ以前は、文法書や教科書などで言葉の性別を教え続けた結果、女ことばが存続してきたのは事実であるが、もともとは自然な女らしさから使われるようになった言語である。

女ことばを使用しようが、使用しまいが自由な現在あっても、女ことばは残り続けている。

私の周り、また私自身も、twitterやメールで女ことばを使用しており、自然な女性らしさの表れであることがわかる。

意識的ではなく、自然と女ことばを選んでいる。

「「女ことばの未来」とは「女であり、人間であることの表現史」であると思う。」(小林、2007P291)とあるように、女ことばを使用するのにふさわしい場面ではこれからも女ことばは残っていくと考える。

真の日本語の伝統になって、今後も残っていくのではないかと考える。

≪加筆≫
自分が大人になってきたことが関係しているのだと思うが、子どものころは女の子であることを強調したくないというか、なんとなく女ことばを使うのが恥ずかしいと思う気持ちがあった。

逆に、雑な言葉を使ったほうがかっこいいと思っているようなところがあった。

上記のように文書レベルで女ことばを使い始めたのも、昨年くらいからである。

正直なところ、成人を迎えた今でも、自分の言葉遣いはがさつで美しくないと感じている。

今私は、女ことばは女性をより高めてくれる魅力的な言葉であるように感じる。

以前は作られた伝統であったが、現在ではむしろ継承していくべき美しい伝統なのではないかと、私は考る。

この見方すらもはやこり固まった見方とされるかもしれないが、女ことばを使う女性は女性の私が見ても上品で美しく、女ことばを使うことが社会に縛られているとはまったく思わない。

「てよ・だわ・のよ」のような典型的な女ことばでなくても、お財布のように「お○〇」とつけるだけでも、女ことばであり丁寧で美しい表現になるのではないかと思う。

たしかに現代では子どもの頃から女ことばを使えることはないだろうと思うし、使えたら使えたらで少し驚いてしまう。

しかし大人になっても、子どもの頃と同じであることも成熟していないとみなされるだろう。

すぐに使えるようにならなくとも、徐々に使えるようになっていきたいと思う。

今後女ことばはあまり使われなくなっていくと思うが、それでもやはり女性自身がそれぞれのケースにより、自分で女ことばを選んで使うことは続いていくと考える。

私個人としては、おばあちゃんになった時には自分の孫には、女ことばを含め美しいと思う言葉遣いで話しかけていたいと思う。

以上



【参考文献・引用文献】(著者の50音順)
小林千草(2007)、『女ことばはどこへ消えたか?』、光文社新書
中村桃子(2012)、『女ことばと日本語』、岩波新書

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