2014年9月26日金曜日

狩野と西川

今日も相変わらずどうでもいいことをググっていた。
でも、一つだけいい情報に巡り合えた。
書くことは人を無気力から立ち直させるらしい。
影響を受けやすいので、今日もこうして日記を書いている。
これからもこの日記にお付き合い頂けたらありがたい。
よろしゅうたのんます。


とは言ったものの、今日は特に書こうと思う出来事もないので、
今日は私が大好きな人たちの話をしようと思う。


なぜと思われるかもしれないが、私は狩野英孝と西川史子が大好きである。
なぜなら、二人とも一生懸命だからである。
イタい、とよく言われているが、そのイタさが私は大好きだ。
人に求められることを忠実にやろう、笑ってもらおうと体を張ったり、発言する二人。
本来の姿ではないテレビ用の姿かもしれない。
自分の仕事(キャラ)を全うするために頑張る姿が、私にはとてもとても輝いて見えるのだ。


おかしな話だが、私も自分のキャラが欲しいと思っていた時期があった。
私=〇〇とパッと思い浮かぶような何か。
そのキャラのレールに乗っていたいと思っていた。
いくつか自分でキャラを考えてみたが、そのキャラを通すのはとてもとても無理があった。
結局実生活においてキャラは作れるものではないということに気付いた。


結局自分の「何かになりたい」願望の強さに辟易する。
ありの~ままの~自分で勝負できる気がしないからだ。

なんて書いているうちに12時になってしまった。
今日はここまで。
9月26日は母の誕生日。
それだけで幸せだと思える。


2014年9月24日水曜日

グルグル

今回は自分のモヤモヤを吐き出し、記録するために書きます・・・


この数日間、とてつもなくグルグルしている。
スマホやPCを開けば「人間 幸せとは」「人生 回り道」「人と比べない生き方」とかそんなことばっかりググっている。
そんなものの答えは人それぞれで、インターネットに転がってるはずはない。
ただ誰かに、「回り道をしたっていい」「あなたは幸せだよ」「自分らしく生きればいいって言ってもらいたいのだ。
しかし、それを誰かにさらって言ってもらえることはなく、仕方なく小さい画面を見つめ、必死に自分を安心させようとしている。


私はどうしてしまったんだろう。
どうしてこんな答えをインターネットに求めないとバランスが取れない人間になってしまったんだろう。
こんなはずじゃなかった・・・という強がりと、今までがうまくいきすぎていたんだ、と無理に肯定しようとする心がぶつかり合う。
あんなに活発だった子どもが、いつの間にか安定を優先するような大人になろうとしている。
失敗が怖すぎて、失敗するくらいならこれでいいと思うようになってしまっていた。


中学生の時、どんな大人になりたいか尋ねられて、いつも「妥協しない人」と答えていた。
大好きだった先生は「妥協しないことは一番難しいことだよ」と言っていた。
その当時は、自分が強くあれば何も難しいことなどないと思っていた。
しかし今ならはっきりわかる。
とても難しいのだ。
妥協しないことは、常に努力をし続けなければならない。
目先のことにとらわれず、その先にある高みを目指して立ち止まってはいけないのだ。
私はそれができなかった。
私は安定を求めすぎたし、努力すること、変化を恐れてしまっていたのだ。
完全なる妥協である。


先日実家から東京に戻るバスを母と待っていた。
バスに乗り込むとき母はぽつりと、「元気でな。受け入れることも大切だよ。」とつぶやいた。
ハッとした。
母は私の選択や、私そのもの全てについて、そうつぶやいたのだと思う。
受け入れたくない、でも受け入れようと葛藤している私の思いに気付いていたのだ。
自分の選択がこれで正しいのかわからない、でも強行突破しようとしている。
でも、心のどこかで本当にいいのか?とポツンと立っている自分もいる。
そして、何も決められず迷い「人間 幸せとは」などとググっている自分のことが情けなく思えてくる。
本当はこんな自分を受け入れたくないのだ。


またグルグルしてきた。
いつも曖昧な自分だけど、一つだけはっきりと言えることがある。
今の自分が大嫌いだ。