昨日の夜は昼寝のつもりで9時から朝の9時まで寝てました。笑
よっぽど疲れてたみたい(笑)
バベル
菊池凜子が色々と賞とった作品ですね。
でも、なんだか、チグハクな印象を受けて後味の悪い作品でした。
それぞれの物語に少しずつはつながりあるけど、全部半端に終わってる感じがしました。
メキシコとモロッコの場面は、モロッコの事件がなければメキシコの方の事件にもつながらなかったけど、日本の場面が無理矢理入れられた感じ。
悲惨な出来事、理不尽な出来事、菊池凜子の体の貼ったところ
というのが、昨日の観終わった感想。
でも一晩おいて考えたら、少し変わった印象を持ちました。
伝えたいことはなんなんだろう、って考えてたら
「どんな環境にいる人も孤独、辛さを抱えてる。」ってことかなと。
バベルとは、”バベルの塔”から来ているそうです。
旧約聖書 創世記11章には
『遠い昔、言葉は一つだった。神に近づこうとした人間たちは天まで届く塔を建てようとした。神は怒り、言われた”言葉を乱し、世界をバラバラにしよう”。やがてその街は、バベルと呼ばれた。』
と書かれているらしいです。
言葉をバラバラにして、二度とその塔が立てられないようにということみたい。
でも、バベルが今の世界だとしたら、言葉はたくさんありバラバラです。
そして、バベルの中でもたくさんの環境があります。
しかし、ここで分かり合えていないのは、言葉が一緒な人です。
モロッコの家族、ブラピ夫妻もそうだし、
メキシコのナニーとブラピ夫妻も英語でつながりあえる、日本の役所浩二の家族もそう。
モロッコでアメリカ人観光客が勝手にバスで行っちゃうところも、
電話してもアメリカ政府がすぐにメキシコに助けに来てくれなかったところや、
アメリカの警察?の人がナニーを強制送還しようとして、ナニーの気持ちを理解してくれなかったところとか。
言葉が通じていながらも、心はバラバラで孤独を感じているし、
分かり合えていないということを伝えたいのかな。
でも、菊池凜子の役は聾唖者だから声は通じないけど、でも文字があるんだから通じ合えはず。
人は話をできないからといって、すぐにコミュニケーションをあきらめてしまうことを、批判しているのかなとも感じました。
昨日はあんなにきわどいシーンなくていいと思ったけど、
あれは自分を承認してほしい、見てほしいという孤独感の表れなのかなと感じました。
でも、やっぱり難しい作品でした。
実はこの作品、高校生の時に友達と観ようとしたんです。
でも最初のモロッコのシーンで、みんなでつまんないねってやめちゃって(笑)
やめて正解だった、と昨日改めて思いました。笑
かいじゅうたちのいるところ
こちらも正直難しい作品と感じました。
絵本が原作なんですね。
かいじゅうがかわいくない、怖いという感想を良くみましたが、
私はなんか不思議なかいじゅうでかわいいと思いました。笑
うーん、なんか適当に見てしまったこともよくなかったんですけど、
でも、なんかよくわかんなかったなー。
マックスが来たことで、最初かいじゅうの世界は変わったけど、
でも結局マックスの思い通りにはいかなくて、素いた世界に戻ることにした。
でも、かいじゅうとの出会いでマックスの心がどう変わったかがいまいちわからなかった。
その後の家族関係とかも。
うむ、今回はめっちゃよかった!と言える2作品ではなかったです。
そんなときもあるよねー。笑
明日は久しぶりに映画館に行きます。
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